『数学者たちの楽園』サイモン・シン
アメリカのアニメ『ザ・シンプソンズ』といえば、黄色いキャラクターは見たことあるというくらいの知名度ではなかろうか。そして、どうせくだらないアニメなんだろうという偏見を持たれている。ところが、このアニメを作っているのは、数学の天才たちなのだという。
『数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』は、科学ジャーナリストのサイモン・シンが、広く知られたアニメに隠された数学の秘密を掘り起こす一冊である。
1990年のシリーズ第一話「天才バート」から数学ネタは登場する。IQテストをごまかしたバートが、天才たちの小学校に転校させられるが、同級生や先生の話す数学ジョークをまったく理解できない。
シンプソンズの脚本家チームには、多くの理系の修士・博士がおり、大学や研究所からコメディーアニメの脚本家に転身した者もいる。
科学や数学のアニメでは全くないシンプソンズだが、アニメの背景に映る一コマのジョークにまで、彼らのバックグラウンドが活きる。バートの父、ホーマーが黒板に書いた一式、
398712+436512=447212
は、なんとあのフェルマーの最終定理を解いているのである。
『フェルマーの最終定理』は、本書の著者サイモン・シンの代表作でもあるが、1637年頃、ピエール・ド・フェルマーが紙の余白に書いた
xn+yn+zn (n>2)
を満たす整数はないという定理である。
フェルマーが証明を墓場に持っていた遥か後、1995年にアンドリュー・ワイルズによってそれは証明されたが、ホーマーはその反例を見つけ出したのである。
この本は、「シンプソンズ家の謎」みたい類の本ではない。シンプソンズを題材にし、ときにはそこからも離れて、さまざまな数学の逸話がでてくる。
僕が興味を惹かれたのは、1897年に円周率πが3.2であることを発見したインディアナ州の医師の話である。州の法案で、インディアナ州の学校は無料でπが3.2であることを教えてよいが、ほかの州の学校がπを3.2として教える場合は使用料を取ることを提案する。それだけでも驚きだが、しかも、なんとその法案は下院を通過するのである。
『ザ・シンプソンズ』から派生して作られたアニメ『フューチュラマ』では、宇宙SFという世界観から、より数学的、科学的な話が出てくる。小さい無限と大きい無限の比較や、メビウスの輪やクラインの壺のようなフラクタル次元の話がネタにされ、さらには私たち入れ替わってる系のドタバタ劇から、複数人の任意の入れ替えを効率的に解く定理が作られて論文誌に載るようなことまで起こっている。
『ザ・シンプソンズ』と『フューチュラマ』の脚本家の一人、デーヴィッド・X・コーエンは、このように語る。
長年のあいだに『ザ・シンプソンズ』に盛り込んできた数学のすべてに対して、大きな満足を感じているという。
「いい気分だよ。テレビ業界にいると、社会を腐敗させる片棒を担いでいるような気分になることもある。だから、話のレベルを上げる機会があると――とくに数学の素晴らしさを伝えられたときは――下品なジョークを書いているときの暗い気持ちが晴れるんだ」
「本音のところでは、自分は研究者として一生を送りたかったのかもしれない。それでも『ザ・シンプソンズ』と『フューチュラマ』は、数学と科学を楽しいものにしているとは思っているし、そのことで新しい世代に影響を及ぼせるんじゃないかとも思っている。そうして影響を受けた人たちの中から、わたしがやれなかったことをやってくれる人が出るかもしれない。そう思えば慰めにもなるし、これで良かったと思えるんだ」