僕帝国幻想

見知らぬ場所にいる人間には、どうして憧れてしまうのだろう

「塔と重力」上田岳弘

僕にはハルキスト持論はある。日本の文学好きに一番読まれているの作家が村上春樹なので、小説に少しでもそれっぽいところがあれば、春樹風と言われてしまうことである。

さて、上田岳弘の「塔と重力」は、そんな春樹風と言われてしまうような小説である。

 十七歳童貞の田辺は、大震災で倒壊したホテルに生き埋めになる。田辺の命は助かるが、初恋の相手の美希子は亡くなる。その後、上京してできた友人、水上とFacebookを通じて十五年ぶりに再会する。かつて、自殺から命を救われた水上は、田辺のことを創造主と呼び、死んだはずの美希子を紹介する「美希子」アサインを始める。 

女好きで、田辺の思考をなぞる鏡写し的で導き手となる水上のキャラクターや、差し込まれる塔と重力の話、いないはずの女と重ね合わせるような内省的情交。そういったモチーフが、作品の半分を春樹風に読ませるが、作中では「神ポジション」というキーワードにこれらは集約される。

上田岳弘はデビュー以来、神小説ばかり書いてきた。この「神」は、超時空スケールで、全知全能な神的な語り手が出てくるという意味だ。「塔と重力」でも、「神」と言われるが、過去作に比べるとレベルの低い「神」である。せいぜい、Facebookで「いいね!」をつけまくるFacebook神くらいである。

その点では、上田岳弘の神を奉る一ファンとしては、拍子抜けするところはあるが、過去のニ作で達成されなかった二つの結末がクロスオーバーする感動がある。

一作は、全知全能の生まれ変わりとして、人類史を総括して地球を何周もして、ただ一人の恋人と出逢う「私の恋人」。もう一作は、暇を持て余した神々の遊びが、すべての人の意識をつなげて大震災へと至る「異郷の友人」。

神々しくやり過ぎたこの二作と、「塔と重力」はつながってはいないが、作中の個人に寄り添ったことによって、二つのテーマを見事に完結させている。ということで、一連の神小説は区切りがついて、いよいよ、次作は神から離れた小説を書くような、作家の転回があるのではないか。



余談。芥川賞は神が力を及ぼすのがお好きではない。芥川賞は離れがお好きである。純文三冠を取るならば、神ではなく、離れを書いてみてはいかがだろうか。もっとも、三島賞を超高速でとって、芥川賞なんてとっくに通過しているレベルの作家ではあるが。


余談2。挿話で出て来るルービックキューブみたいなおもちゃの描写が全くわからないが、僕はこれを持っているのでよくわかる。ロジャー・フォン・イークのball of whacksですね。

 

 

 

新潮 2017年 01 月号

新潮 2017年 01 月号