『きみの言い訳は最高の芸術』最果タヒ
僕が最果タヒを知ったのは、『かわいいだけじゃない私たちの、かわいいだけの平凡。』という素晴らしい題のついた小説で、それ以来、彼女の言葉に惹かれている。
初エッセイ集の『きみの言い訳は最高の芸術』には、共感や気づきや、あるあるといったモチーフを超えて、言葉にされにくかった感情が、彼女自身の言葉でありながらも、そこから離れようとする没個人的であろうとするかのように表れていた。
たとえば、下の一節。冬の寒い夜に、ひとりでこたつに入り、なにか音楽を聴きながら、駄菓子を食べつつ読んで、僕の中にある「孤独」という言葉が大きく広がっていくことに震える。
孤独というのはどこにもなくて、孤独がどこにもないというそのことだけが私を私にしてくれている。そして他人の孤独を理解できないという点で、私は他人に対して冷たくなる。生きているということそれだけでも奇跡なんだというならば、私は私として他人からはぐれて、さみしくひとりで暮らしていたって奇跡で、なるほどそれはそのとおりだな、と思っている。 (「さみしくなりたい」)
もし「ひとり暮らしは寂しいだろう」と言われれば、寂しいという感じとは違うのだという反発するような、人とか過去とかのかかわりや、趣味や生活のような私的な領域を囲い込もうとする大きく分類された(タグ付けされた)言葉に対して、一見冷めているような彼女の言葉は浸みいるのである。
自分の中にあって気づいているけれど、周りにはあえて見せたくはない、でも露悪的とはいえないような感情を、この本となら分かち合えるように思う。